雑文を書くのに必要なもの、それは「ネタ」です。「文章力のほうが大切だ」という意見もあるかもしれませんが、それは私が持っていないので却下。「素晴らしい文章力を身につけるよりは素晴らしいネタを拾ってくるほうがナンボか楽だ」と思ってますから。

ネタを探すために必要な事は、世の中の事、そして身の回りの事に対してアンテナを向けることです。ほんの些細な事であっても、嘘と誇張で膨らませれば、雑文としての体裁は整います。「渋滞に巻き込まれて、眠気がひどくて仕方がない」というただの愚痴でもなんとか文章に纏まる事もあります。逆に、そのアンテナが働いていないと、そのものが面白いネタになりうるような出来事であったとしても気付かないかもしれません。多分、いくつかあるはずです。無論、ネタに出来なかったんで覚えているはずもありませんが。

これはあくまで私の意見です。以前、ある方とチャットだったかメールだったかメッセンジャーだったかで会話していた際、「妄想系の話を書ける人が羨ましい」という趣旨の事を言った記憶があります。「妄想型の話であれば、アンテナが内向きであってもネタができる」という意味でした。私も今まで数十本の雑文を書いていますが、その大部分が事実を基にしています。100%ネタであるという文章は数えるほどしかありません。

その時の話し相手の方は「妄想話は妄想話でネタ作りが大変ではないか」という事をおっしゃっていましたが、それならそれで、妄想型と事実型の両方の話を書ける人が羨ましいと思ったものです。もっとも、そのへんは才能とかそういう話になるんで、どうしようもない事です。「妄想の才能が自分にない事を親に対して恨む」というのはただの逆恨みでしょうし、「努力して妄想する才能を身につける」というのもあまり誇れるものではないと思います。しかし、「妄想力」って努力して身につくものなのかな。

で、何が言いたいかというと、「仕事でばたばたしてるとネタを探すのも一苦労だ」という事です。アンテナを外に向ける余裕はないし、かと言って妄想ネタに走ろうとすると妙に「黒い」話しか書けそうにありません。もともと破滅願望があるような人間ですので、「ああ、地震とか起きないかなぁ」とか「いきなり頭が涅槃に旅立たれた方が銃器とか鈍器とかバールのようなものとか刃渡り20センチの包丁なんかを持って乗り込んできたりしないかなぁ」とか、そんなん文章にしても読みたくないような話しか出来上がりません。

しかし、困った事に私のネタ探し用アンテナ。しばらく使っていないと錆付いて非常に感度が悪くなってしまいます。時間がないでもないなりに動かしてないと、いざ使おうというときになかなか難儀する事になります。そろそろお仕事が一段楽してきているので、またアンテナを動かし始めなければとは思うのですが。いやもう錆びついて錆びついて。


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