世の中には、古くから受け継がれているものがあります。童話や昔話といったものは、その最たるものでしょう。桃太郎や花咲爺さん、シンデレラに赤頭巾ちゃん等々、誰でも一度くらいは聞いた事がある話ばかりです。

人生において、童話に触れる機会が最も多いのは乳幼児の頃ではないでしょうか。例えば我が家の場合ですと、就寝前に数冊の絵本を読む事が習慣となっていました。読む本は様々でした。アンパンマンやノンタンといった、定番と言える絵本を読む事もありました。長男が幼稚園に通うようになってからは、教材として使われた本を読む事もありました。幼稚園を介して定期購読していた絵本を読む事もありました。

しかし、「これではいかん」と思うようになったのはその定期購読していた絵本のせいです。この定期購読の絵本、基本的に購読するもしないも自由です。また、購読するにしても何種類かのセットから選択する事ができます。一年目は普通の幼児向け絵本セットを選んだのですが、半年もしないうちに「来年は古典絵本セットにしよう」と考えるようになりました。現代においては趣味が多様化していると言われます。絵本の世界においても、わざわざ古典を選ばなくても本屋に行けばいろいろな絵本があります。しかし、だからと言って四歳になって一度も「桃太郎」に触れた事が無いというのはいかんでしょう。別に桃太郎じゃなくても、金太郎でもかぐや姫でも構いませんが、絵本業界が拡大した結果、意識的に近づいていかないと古典に触れる機会がなくなっているのです。「桃太郎くらい本無しで直接話してやれ」と言われるかもしれませんが、幼児にとっては視覚情報も大切だと考えています。「犬と猿と雉を仲間にする」、「鬼が島に行く」、「財宝の強奪に成功する」という流れを理解するには、目と耳の両方から情報を入力した方がいいと思うのです。

童話世界の古典に触れさせる事には成功しましたが、世の中には他にも様々な「古典」があります。日本が誇る大衆文化である漫画にも古典は存在します。しかし、その中で小学生や未就学児に適したものは何かとなると、なかなか難しいものがあります。例えば、手塚治虫の漫画なんかは面白いので一度くらいは読んでみた方がいいと言えます。しかし、「火の鳥」だと子供が読むには難しすぎます。かと言って「鉄腕アトム」だと「過去の話なのに近未来」というよくわからない事になります。設定上のアトムの誕生日はもう五年も昔です。次男よりも二週間先に産まれているのです。

じゃ、他にどんな古典があるか。ここでドラえもんが浮上してきます。親世代くらいから今も続いており、古典と呼ぶにふさわしいでしょう。病院の待合室なんかに単行本が置いてあったりと、それなりに触れる機会はあります。また、アトム同様未来のロボットですが、こちらは二十二世紀産です。あと百年ほど余裕があります。

ドラえもんだとアニメを見ていれば、それが古典に触れる事となります。しかし、アニメの放映時間は午後七時。夕食の時間帯とばっちり被っているために、我が家ではドラえもんのアニメを見る事はできません。結果として、お友達の家だったり学童保育の本棚に置いてある飛び飛びの単行本でしか触れる機会がありません。その結果どうなるか。「タケコプター」くらいは分かります。「どこでもドア」や「タイムマシン」も分かります。でも、「グルメテーブル掛け」や「桃太郎印のきび団子」が分からない。そんな中途半端な知識となっているようです。やはりこれも積極的に行動しなければいけないようです。機会があれば単行本を読ませてみたいものです。

日本の大衆文化といえば、漫画だけでなくゲームもあります。漫画ほど歴史があるわけでもありませんが、かと言ってこれから急速に消滅する気配もありません。時間が経てば漫画同様、古典と呼んでも差し支えなくなる日が来るかもしれません。実際、ゲームという文化の中だけで考えた場合は古典と呼ばれるようなものもあるのですから、いずれはそれらが「古典ゲーム」という存在として認知されるのかもしれません。しかし、現時点で古典と呼ばれるゲームと言えば洋物が多数です。WizardryやRogueといったゲームは確かに名作古典ですが、やはりここは日本産のゲームでいきたいところです。

例えば、最近の子供たちが何らかの形で接するゲームというとポケモンがあります。ゲームに限らずアニメや食料品など、様々な形で接する事ができますが、基本はゲームです。あのポケモンを捕まえた、育てて強くなった等、いずれこの年代の共通体験として語られる日も来る事でしょう。我々の時代、二十年前はそのゲームの位置にはドラクエがありました。あのアイテムを手に入れた、育てて強くなった等、具体的には「はがねのつるぎ1500G は高かった」とか「地獄の蟹が硬い」とか、そういう話題は「あったあった」という反応が返ってきやすいものです。そういう我々が体験した「あったあった」を子供たちにも体験させたいのです。ポケモンというゲームには、装備の概念がありません。ポケモンたちは習得した技を用いて戦います。そのため、ドラクエのようなゲームでは当たり前のように存在していた「初期の町にいる『武器や防具は装備しないと効果がありませんよ』という一般市民」が存在しません。これはいけない。やはりこういう古典は次世代に受け継がれるべきでは無いだろうか。よし、ここは次世代への文化の伝承のためにそういう一般市民が出てくるゲーム、装備の概念が存在するゲームを与えよう。そして、「武器や防具は云々」という台詞を理解できるようにしよう。

という具合に、私は日本人が受け継ぐべき伝統を失わないために、次世代へと継承しようとしたのです。ですが、そのための予算折衝で一も二も無く却下されてしまいました。いや、私は文化の継承に一役買おうと思っただけですよ。決して、自分がゲームしたいから頼み込んだわけではないんですよ。ええ。


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