新年です。いつの間にやらこのサイトも六年目に突入です。最近では目に見えて更新頻度が落ちていますが、「なんとか月二本くらいはいきたいな」の精神で踏みとどまっています。なんらかの「縛り」がないとずるずる落ちていきそうでねえ。廃墟にするには勿体無いと思うのです。丸五年も続いているんですから履歴書の趣味の欄に「文章書き」と書いても文句は言われなくなったでしょうし。

さて、新年。元旦というと新聞が一年の中で最も分厚くなる日です。とは言っても必要になるのは一部だけ。大量に用意されている特集なんかは一度見れば用済みです。同じく大量に含まれている広告も、お目当ての初売りなんかがないのであればミカンの皮を捨てるゴミ箱が大量にできるだけです。

その大量の新聞紙の中で、最もお世話になるのは番組欄でしょう。誰かがチャンネルを固定していても、他に何か多少なりとも興味をそそる番組がないかとボロボロになった番組欄がコタツの周囲を飛び交っております。飛び交ったところでチャンネルが変わるわけでもなく「何も面白いのやってないねえ」で終わりです。私は私でたまにテレビに目をやりつつ手元ではゲームです。ポケモンにて大量の卵のふ化作業を行っているのですが、性別やら能力値やらを見極めてとかやってるとまるでヒヨコの鑑定士にでもなった気分です。ああ、番組欄も見ましたよ。主に深夜帯にイカすエロ番組をやってないか、とか。今年は元旦深夜からエマニエル婦人を放送したらしい九州朝日放送が個人的最優秀賞でした。エマニエルですよエマニエル。坊やじゃなくて婦人ですよ。高校生くらいであれば即録画コースです。今じゃそういう情熱もどこかへ行ってしまいましたが、行ってしまってもついついチェックだけはしてしまいます。

元旦の新聞紙面構成はどの新聞も同じようなものでした。しかし、あの新聞はどうなのでしょう。今年は産まれて初めて「あの新聞の元旦の紙面」を見る機会がありました。あの新聞。S新聞です。イニシャルだけだと複数候補がありますが、「宗教新聞なS新聞」だと伏字の意味がありません。まあ、気にせずに。

かの新聞は「一面記事はいつもあの手の記事ばっか」という事で有名です。JFK暗殺時の一面が「ブラッシー血だるま」だった東スポ並です。お約束どおり、一面は「設立何十周年だかの今年も前進精神だかなんだかで頑張るぞ」な記事です。あと、会長がなんとか名誉号貰ったとかどこぞの教授と会ったとかそういう記事。かの新聞らしい構成です。他紙では見る事のできない構成です。

スポーツ、芸能欄も一味違います。芸能人の誰それさん、野球選手の誰それさん、そんな人たちが「先生の教えを胸に」抱負を述べています。インタビュアーも当然「先生の教え」は暗記済みです。部外者な私はさっぱりです。かと言って、この新聞を取っている人も浮世の義理とかそういうあれなので周囲にも分かっている人はいません。投書欄もそんな感じです。一家揃って不幸にあったけど、学会の教えのおかげでV字回復、とかそんなんばっか。もうお腹一杯です。総合欄の四コマ漫画もそんな感じなんだもん。息つく暇がありません。

それらの集大成が連載小説でしょう。通常、新聞の連載小説といえば一年が連載の基準となります。元旦といえば、その新聞小説の初回が掲載されます。近年は「失楽園」や「愛の流刑地」でエロ小説路線を突っ走る日経新聞なんてものもありますが、基本的には新聞連載小説というものは「なくても特に困らないもの」でしょう。ですが、そこはかの新聞。小説の中身以前のところで笑いを誘ってくれました。何が凄いって、連載回数です。普通の新聞なら三百数十回程度で終了するのに、通し番号が四桁突入です。しかも千や二千じゃありません。三千オーバーです。約十年です。どうなってんだよ、「連載小説 第3652回」って(番号はうろ覚え)。え?中身?覚えてない。まあ、一面記事あたりを小説っぽく構成していただけたら大差はないかと。大体そんな感じでした。

その後で読売新聞を読もうとしたら、二面目下部の書籍広告欄がかの新聞関係だったんで「あれ、俺まだあの新聞読んでるんだっけ?」と思ったのはまた別の話。


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