子供たちの運動靴がボロボロになってきました。

乳幼児の靴というと、ボロボロになる前に足が大きくなって履けなくなってしまう事が多いような気がするのですが、我が家の子供達は予想以上のペースで靴を使い倒してしまったようです。夏場はサンダル着用率が高かったとは言え、ほぼ一年間履きっぱなしです。スペアがないので靴の傷み方も酷かったのでしょう。長男の靴の爪先部分に穴が開いてきたので、新しい靴を買う事にしました。

私が子供の頃、運動靴というとゴム製でキャラクターがプリントされていた靴をよく履いていた記憶があります。甲の部分は青っぽいゴム製で、戦隊物なりアニメなりのキャラクターがプリントされていました。それにさほど厚くはないゴム底がくっついたような靴でした。「どうせすぐに大きくなるんだから、靴に金を掛ける必要は無い」という事です。間違ってはいません。事実、どんどん足は大きくなり、元を取る前に新しい靴を買う事になったのも一度や二度ではありません。

しかしながら、二十一世紀の子供靴市場がどうなっているか。靴屋についてみると二十年前とは大違いでした。まず、昔よく見かけた一体成型の靴が少なくなっています。無いわけではありません。ありませんが、靴底がやたらと分厚くなっています。私が履いていたような靴の、二倍くらいありそうな靴底です。衝撃をがっちり吸収してくれそうな、そんな立派な靴底です。キャラクター物と馬鹿にできるような物ではありません。

で、私の頃は主要品目であった、そういう靴はすみっこで少数派として存在しています。では、多数派はどんな靴なのか。普通の運動靴です。ただし、やたら多機能な運動靴ですが。

その靴屋には、幼稚園から小学校低学年くらいの年代の靴として二種類の靴が売り場に置いてありました。まずは先述したキャラクター物。これは奥さんの「キャラ物の靴は好きくない」という一言で却下です。となると、残る選択肢はもう一方。普通の運動靴です。普通の、しかし立派な運動靴です。

何が立派なのか。「靴底にゴム製のスパイク状の突起が付いている」点です。よく見ると「コーナーで地面を的確に掴む」なんて売り文句まで書いてあります。成る程、左右対称にスパイクが付いているわけではなく、運動場のコーナーを曲がりやすいように外側だか内側だかだけに付いています。記憶が曖昧なのはその靴は買わなかったからです。はい。この仕組みは、ミニ四駆における「ワンウェイホイールはコーナーを曲がりやすい」に匹敵する仕組みと言えましょう。あれがどういう仕組みなのか未だによく分かってませんが。

突起だけではありません。靴底の溝もただの波線だけではなく、ある所は深く、ある所は浅くとなり、その結果やたらと分厚い靴底になっています。分厚いだけではなく固くもあります。とても「よーちえんじのうんどーぐつ」とは思えません。しかし、そんな運動靴がてんこ盛りです。むしろ、その年代向けの主力商品はそんな靴ばっかという感じです。長男はその靴の中から何足か選び、実際に履き心地を試してみてから新しい、いい靴を選びました。

兄が新しい物を手に入れると、当然ながら弟は羨ましがります。新しい靴を買って、まだその靴履けるでしょ、いやだ欲しいといったお約束なやり取りがありましたが、これがまた見事なタイミングで次男の靴も限界が訪れます。爪先が破れ、靴底が剥がれそうになっては仕方ありません。また同じ靴屋で靴選びです。

三歳前後向けの靴となるとさすがにキャラ物の比率も高まります。ただ、「母数が少ないから結果的に比率が高まった」という感じでので選択肢はさほど多くはありません。その中で次男は一足の靴を選びました。奥さんが嫌いなキャラ物の靴、ポケモンの靴でした。「こっちの方がいいよ」とか言って非キャラ物の靴を薦めてみますが、頑として譲りません。最終的に親の方が折れる形でその靴を購入する事にしました。物凄い喜びようです。購入から数ヶ月経っても保育園の先生に自慢するくらい。すいません、毎度ご迷惑をおかけします。

昔のようなキャラ物の靴であれば、親の強権で却下する事もできたでしょう。ですが、キャラ物の、しかも三歳児向けの運動靴であっても多機能化は進んでいます。突起こそないものの、靴底の立派さでは長男の靴に引けを取りません。今のご時世、安っぽい靴を探す方が難しいようです。

しかしまあ、なんですな。子供たちの靴底を見ると、こう、「羨ましい」という感情が。別にトラック競技に参加するわけではありませんが、俺の靴底にもこのイボイボやらデコボコやら欲しいなあとか思うわけです。だって、速く走れるんですよ。コーナーもばっちりなんですよ。グリップ力は120%アップなのに重量は96%(当社比)なんですよ。欲しいに決まっているじゃありませんか。運動靴に限らず、革靴にも付けたいくらいです。と言うと、奥さんが冷たい目で見てくれます。充実した装備に興奮する心境というものは分かってもらえないようです。


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