幸いな事に大勢の方々に読んでもらっている私の雑文。どれくらいの方が読んでいるのか正確な数なんて知る由もありませんが、その中の一人に私の相方がいます。

開設当初から読んでいたというわけではありません。飽きもせずに続いているからちょっくら読んでやろう。そんな感じで読み始めたみたいです。ネタの裏側まで知られているので少々やりづらい面もありますが、そのへんはあまり考えないようにしています。「この時は、こうじゃなくてああだった」と言われても、面白ければいいんです。さすがに「こう書くと、こうなるからおかしい」という指摘があれば修正する事もあるんですが。

さて、相方は今夜、久しぶりに私の文章を読んでいます。傍から見ていると、大抵はなんのリアクションもなく読み進められているので、たまに吹きだす音が聞こえると嬉しくなります。「よっしゃ、勝った」と。ただ、少々残念な事は、相方が笑うポイントは私が仕掛けていたポイントと違うという事です。今回相方が噴出したポイントは「メガロッチ」という言葉でした。

メガロッチ。ほんの触り程度に使った言葉ですが、見事にクリーンヒットしたようです。確かに、私も実際に聞いた時はこみ上げてくる笑いを堪えるのに難儀しました。当人達にしてみれば「いつも使っているごく当たり前のあだ名」でしかないのでしょうが、全く無関係な周囲の人間にしてみれば「何故そんなあだ名なんだ」という事が気になります。相方とも「メガロッチという単語の意味」について考えてみました。

まず、普通に考えると「メガロッチ」という言葉は日本語にはありません。他の言語には存在するのかもしれませんが、一体どういう言語なのか見当もつきません。ということで、「メガロッチは造語である」という仮定をしてみましょう。次に問題になるのが、「どういう過程でそういう言葉になったのか」という事です。我々は、二種類の仮説を立ててみました。「メガロ + っち」説と「メガ + ロッチ」説です。

まずは「メガロ + っち」説。これは「メガロ」という単語に「っち」という接尾語がついたものであると考えることができます。「っち」という語尾に関しては説明は不要でしょう。数年前の「たまごっち」以来、よく耳にする言葉です。愛称としても頻繁に使用されているのではないでしょうか。

この「っち」という言葉には、「対象の言葉を、より親しみを込めて呼ぶ」効果があります。「山田さん」と呼ぶより「山田っち」と呼んだ方が、親しい雰囲気が込められているようなものです。しかし、この説は「メガロ」という言葉の意味がわからないといけません。ゴジラの敵役のような愛称で呼ばれているとしたら、いくら親しい相手だとしてもあまりいい気分にはなれないかもしれません。この説はちょっと説得力に欠けるようです。

では「メガ + ロッチ」説はどうか。これは「ロッチ」という言葉に「メガ」という接頭語がついたものと考える事ができます。「メガ」という言葉に関しても説明は不要でしょう。「百万倍」という意味があります。問題は「ロッチ」。ロッテなら聞き覚えがあるという方も多いと思いますが、ロッチです。普通は聞き覚えがありません。が。聞き覚えがあるという方もいらっしゃるかもしれません。事実、私は「ロッチ」という言葉の意味を知っています。

あれは小学生の頃。ビックリマンシールが流行っていた頃の話です。今で言うトレーディングカードの元祖とも言えるようなあのシール。「交換」という過程を経て自分のコレクションを増やしていました。いいシール、希少価値の高いシール、それらがあればあるほど交換では優位に立てます。が、それらのシールには偽者が混ざっている可能性もありました。

通常、ビックリマンシールの台紙裏側にはちょっとした文章が書かれています。バックストーリーのようなものですが、その他に識別用の番号、そして製造元であるロッテのロゴが入っていました。「ビックリマンチョコ」というお菓子のオマケであるシールは、全てそのようなレイアウトで印刷されていました。

しかし、所謂偽者が「ロッテ」のロゴを使用するわけにはいきません。ではどうしたのか。「『ロッテ』を印刷しない」シールと、「『ロッチ』と印刷する」シールの二種類がありました。印刷しないバージョンでは、本来文字が存在する場所が空白ですので比較的容易に判別する事ができます。しかし。「ロッテ」が「ロッチ」になったバージョンですと、ちょっと注意深く見ないと見逃す恐れもあります。事実、私は数度騙されました。騙されてからは注意深く見るようになりました。ロッテなんだろうな、ロッチじゃないだろうな、と。

この推測が正しければ、「メガロッチ」という言葉は「百万倍の偽シール」という意味になります。
……って、「なります」じゃなくて。そもそも私と比較して五歳前後も年下と考えられる彼女達が「ロッチ = 偽シール」という思考ロジックを所有しているかという点に関しては素直に頷けない部分があります。という事は、この説も説得力に欠けるようです。

そんな会話を平日の夜中に布団の中で延々と繰り広げた我々。色気もへったくれもありませんが、今日も平和でした。


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