古くから付き合いのある友人同士だったりすると、名前ではなく愛称やあだ名で呼び合うことが多いのではないでしょうか。特に、小学校から付き合いのある人間だったりすると、非常に個性的なあだ名で呼び合っていたりする方々も多いのではないでしょうか。先日電車の中で女子高生がその友人に対して発した「メガロッチ」というのも個性的なあだ名でしょう。メガロッチ。「物凄くなった、ロッテのばったもん」とかでしょうか。

そんな事を書いておきながら、私には小学校から付き合いのある友人というものが非常に少ないため、実際にどうなのか詳しい事は知りません。付き合いが長い人間というと中学校が一緒だったいつもの面々ですが、この中では苗字や名前を、もしくはそれらの一部分を呼び捨てで呼んでたりします。「山田太郎(仮名)」なんて名前だったら、山田だとか山ちゃん、太郎なんて呼び方をされる、という事です。

私の場合は上の例でいうところの「山ちゃん」でしょうか。苗字の一部分だけを抜き出して呼ばれています。不思議な事に、私の周りの人間の殆どがそういう呼び方をしてきます。「山田」でも「太郎」でもなく「山」。山の後には「さん」だの「ちゃん」だの「やん」だの。「っぺ」と付けてくる人間はいないようです。苗字でなく名前を呼んでくるのは親戚や相方、それに極少数の友人達くらいです。

では、私以外は。仲間内の例に限定すると、苗字も名前も呼んでもらえずに「じじい」だけで済ませられる男が約一名。何故か私から「○○先生」と呼ばれる男が約一名。何故か私から「旦那」と呼ばれる男が約一名。あとは呼ぶ人間によって様々。ある時は苗字で、ある時は名前で、またある時はあだ名でと、複数の呼ばれ方をされたりしています。主に、私が適当な呼び名を使う事が原因なのですが。

中学時代の友人達からは「山ちゃん」型で呼ばれてきましたが、高専時代の友人達からはこれに加え、別のあだ名で呼んでくる事もあります。
「親父」と。
ひらがな表記する際は「おやじ」ではなく「おやぢ」であると主張して悪乗りしたのも一因かもしれませんが、自分が年寄り臭いという自覚はありますので嫌がるわけでもなく、普通に受け入れていました。このあだ名で呼ばない人間はやっぱり殆どが「山ちゃん」で呼んでいました。その辺は相変わらずです。よっぽど呼びやすいのでしょうか。

呼びやすい苗字、そして呼びやすいあだ名に慣れていたある日の事。高専というものは五年制です。そして、学科ごとに全く別の専門教科があるので、その五年間を殆ど同じ顔ぶれで過ごします。同じ顔ぶれで過ごすのも三年目になったある授業での出来事です。経緯は忘れましたが、たまたま授業中に名前で呼ばれることがありました。その時、ある級友がこう言いました。「太郎って……誰?」

ボケ、というわけではないようです。何故なら。他にも数名が困惑しています。数人掛かりでとっさにボケているというわけでもないようです。本気です。奴らは本気です。本気で私の名前を知らないようです。三年間同じ教室の中で学んできたのに、フルネームは知られていなかったのです。

もうこのまま帰っちゃおうかとも思いましたが、そういうわけにもいかず。太郎とは我が名である旨を知らせたところ、驚きの声が。
曰く、「知らなかった」
曰く、「始めて知った」
曰く、「そんな名前だったんだ」
お前ら……三年間共に学んできている人間に対してその仕打ちはあんまりでは。そして卒業してから三年近く経つとはいえ、五年間共に学んできた人間に対して同窓会という席でまったく同じリアクションをするのはあんまりでは。いい加減覚えてくれよ。泣いちゃうぞ、この野郎。


トップ 一覧 前の雑文 次の雑文