「賀正ーん」

……ああっ、引かないで。年賀状に小ネタを混ぜる私も、さすがにこれはやってないような気がします。実は過去にやらかしたのかもしれませんが、記憶から抹消されているのか覚えていません。という事で、「年賀状に『賀正ーん』と書いた事はない」という結論にしましょう。

違う。そうじゃなくて。年賀状というと、年に一度小ネタを消化できる場です。違うかもしれませんが、私の中ではそういう事になっています。特に、小学生の頃なんかだと、友人に書く年賀状のネタは何にしようなど、結構早いうちから考えていたものです。何時の間にやら仲間内では年賀状を送る風習もなくなり、私自身も年賀状を書かなくなって結構経ちます。今では自分の上司にも出さないもんなぁ。いや、上司に出さないのは最初からですけど。

子供と大人では年賀状の意味合いが違う、という事は勿論理解しています。父の会社では毎年年末になると、あそこには出した、あそこはまだだ、年賀状が足りなくなった、住所がわからない、その他諸々の騒動が起きていました。今年は喪中なので年賀状自体は送らないのですが、それはそれで事前に印刷しておいた数百枚の年賀状は無駄になったわけでして、それもそれでどうかと。しかも、結局あの「喪中につき挨拶は自粛させて云々」というやつは送らなければいけないわけですし。大変だろうな。もう送ったのかな。

私個人は喪中であろうがなかろうが年賀状は送りません。送らないんで当然、送られることもありません。せいぜい、眼鏡屋あたりからダイレクトメール代わりの年賀状がやって来るくらいでしょう。昔は三枚くらいは来てたのに。って、三枚くらいですか。

その『三枚くらい来てた』昔。中学生くらいからでしょうか。今でも付き合いのある面々と出会って、私の中に眠っていた『何か』が目覚めてから再度眠りに付くまでの数年、毎年ネタ年賀状を送っていました。最初に友人に送る際は、ちょっと遠慮して「ごく普通の当り障りのない年賀状と、一目見ただけで俺が送ったとわかる年賀状、どっちがいい?」と尋ねたのですが、間髪いれずに後者がいいとの返事をもらい、以降数年にわたってネタ賀状を送り続けました。勿論、ネタ賀状を送った相手からはネタ賀状が送られてきます。定番の「あぶり出し」も貰いました。「『年賀状を燃やしてしまった』という苦情が結構あった」という理由で、翌年以降は普通の年賀状になった事が残念でした。

わざわざ一枚書くのに小一時間もかかるようなネタをやった時もあります。一面に茶色の絵の具を塗り、黒で線を入れて「煉瓦状」とか。これは手間の割にはウケがよろしくなかったのを覚えています。結構大変なんですよ。まず、塗ったくって乾燥するのを待たなければいけませんし、それから模様を書き、という手順を踏まなければいけませんので。たしか、六枚書くのに三時間ほどかかったと思います。アホだ、俺。

逆に、最小の手間で最大の笑いを取ったものもあります。先述した「一目で俺が書いたと分かる年賀状」。このとき初めて使ったネタであり、それから別の友人に対しても使う事になったネタです。書いたのはたった二文字。筆ペンででかでかと

「賀正ーん」

違うって。しかもそれじゃ四文字だし。書いたのは、

「全略」

ええ、でかでかと。それ以外に何の装飾もなく。もはや年賀状ではない気もしますが、これがなかなかウケがよく。友人の周囲ではネタになってたらしく、初対面の人に説明される時に「ほら、あの『全略』って年賀状を送ってきた奴」という紹介をされる事もありました。

ネタ賀状をやりとりしなくなってもう数年が経ちます。私がまたネタ賀状を送るようになる日が来るとは思えません。そのへんの分別はついてます。それに、友人達も付き合ってはくれないでしょう。面倒ですし、どうせ年末年始は集まって酒を飲んでますし。しかし、自分の子供がネタ賀状を送る年齢に達したら。「全略」ネタは是非とも伝授してみたいところです。先祖代々受け継がれるネタ賀状。なかなか嫌な伝統です。


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