古代中国の歴史というと、三国志やら水滸伝やらチンギスハンやらと、様々なゲームの題材となっています。その中でも代表的なのは三国志でしょう。魏の曹操、呉の孫権、そして蜀の劉備。この三ヶ国の争いの物語です。
私が三国志という物語と出会ったのは小学三年生の頃でした。同級生が学校の図書館で「マンガ中国の歴史」を読み、それに興味を持ったのが始まりです。彼らは十巻セットだったそのシリーズの中で、やたらと三巻にのみ興味を示していたので不思議だったのです。で、話を聞いてみると、三国志の時代はその巻にのみ収録されている、と。
中学校ならいざ知らず、当時の小学校に横山光輝三国志全六十巻セットなんて物は置いてありません。また、小学三年生に六十冊も読む元気と読解力もありません。結局、長い事私の三国志知識はその「マンガ中国の歴史第三巻」と、友人達がやっていた「三国志 中原の覇者」(ナムコ)、そして「天地を喰らう」(カプコン)の二つのファミコンのゲームでした。前者二つはさて置き、「天地を喰らう」はまあ、初手としては間違いすぎていたような気が。どのくらい間違えているかというと、世界情勢の勉強をするためにゴルゴ13を読むくらい。まあ、些事にこだわるべきではないのかもしれません。
私くらいの年代ですと、「劉備 = 蜀 = 正義の味方」「曹操 = 魏 = 悪」「孫権 = 呉 = おまけ」というイメージを持っていた方も多いのではないでしょうか。近年はともかく、一昔前だと主な文献が蜀を主役格に置いた『三国志演義』であるため、漫画や小説において「劉備 = 主役」という作品が多かったと思います。近年では曹操の再評価なんかが行われ、魏を中心にした漫画なんかもありましたが、私にとっては違和感がありました。私にとっての三国志のイメージとは「正義の味方劉備軍が悪の曹操軍をぶっ倒す」というものですから。幼少期に「天地を喰らう」によって刷り込まれた第一印象とは恐ろしいものです。もはや救いようがありません。
さて、日本が誇る萌え文化。その侵略の手は止まるところを知りません。勿論、三国志の世界もとっくの昔に侵略済みです。「あの武将○○が、もし女だったら」なんて設定の作品がゴロゴロしています。「劉備が女だったら」「張飛が女だったら」「于禁が女だったら」そんな具合に、これまた数多の作品が生まれています。
それらの頂点にあるのが「一騎当千」という漫画。「○○が女だったら」を集めた結果、「○○と○○と○○と(中略)○○と○○が女だったら」となっています。もはや、救いようがありません。例えば、三国志の中でも有名な関羽という武将。「美髯公」「関聖帝君」「三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君」等々、様々な呼び名がある武将です。日本でも、中華街なんかには関帝廟という関羽を祀った祠があります。
んで、その関羽。そのまんまイラストにすると立派なヒゲを蓄え、青龍偃月刀という大きな刀を携え、赤兎馬という立派な馬に乗る威風堂々たる武人です。それがどうでしょう。かの漫画に登場する関羽は「長い黒髪で短いスカートの巨乳女子高生」となっています。Googleで「関羽」をイメージ検索するとヒゲのおっさんはろくに出て来ず、それどころかあられもないフィギュアの画像ばっかりという有様です。あまりの事態に中国政府だかなんだかから苦情が来たとか。曰く、「うちの神様に何するアルか」だそうで。
まあ、確かに自分のところで「武の神様」「商売の神様」と崇めている偉人が、隣の国で「関羽のパンチラが云々」と真面目に討論されている事態は面白くないでしょう。ええ、私もまさか死ぬまでに「関羽の乳がイカス」等という壊れた感想を述べる機会があるとは思いもしませんでしたが。中国の土着風俗に詳しい佐治原元放さんの言を借りると「日本人は匙にも萌える事ができる」そうですが、あながち間違ってもいないようです。中国人が怒った神様や古代の偉人に対してすら、勝手に女性化して萌えの対象とする事に抵抗はないでしょう。「萌え萌え柳生十兵衛」「萌え萌え沖田総司」なんて全く違和感がありません。違和感がないどころか、既に萌えの対象として消化済みです。やっぱり救いようがありません。