その手に握られていた物は、机の引出しの奥に忘れていたものでした。いや、それは貰っても相手が困ると思うよ、うん。しかし、向こうも引き下がりません。なんとしても、これをあげるんだという強い意志が見えます。

子供の躾というものは難しいものです。何回言っても聞きやしない、何回言っても直りやしない。生活習慣から公衆道徳まで、様々な事柄に関してそれこそ一から百まで教えなければいけませんが、それは必ずしも子供にとって快いものではありません。御飯ができてもゲームを続けたいし、お風呂の準備ができてもゲームを続けたいし、お休みの時間になってもゲームを、こほん。まあ、とにかく黙っていれば延々と怠惰な日常を送ってしまいそうなので、お手伝いだとか宿題だとかを自主的にやるように仕向ける事も必要です。

とは言え、何の見返りもないとなかなか重い腰が上がりません。簡単なところでは「お手伝いしたらおやつ食べていい」なんてものでしょうか。しかし、これはおやつ前しか使えないという時間的な制約があります。我が家の長男を例に取れば、「お兄ちゃんだから」「小学生だから」と相手の自尊心をくすぐるのもいい手段ですが、しかしそれでは次男に使えません。

おやつ前にしか使えない「おやつ食べていい」と同様、冬のこの時期にしか使えない奥義があります。そう、「サンタさんからプレゼントもらえないよ」です。この一言を発する前後で、子供たちの動きがはっきりと変わります。就寝時刻になっても遊び続ける子供達に、「サンタさんは良い子にしかプレゼント持ってこないよ」と言うと、我先にと布団に潜り込みます。お手伝いを渋る子供達に、「サンタさんはたくさんお手伝いをする子には、たくさんプレゼント持ってくるかもね」と言うと、俺が俺がと手伝ってくれます。いやあ、ありがとう、サンタさん。私が小学校低学年で真実に気付いた事を考えると長男相手に使えるのはあと数回といったところでしょうが、使えるうちは使わせていただきます。

さて、そんな具合にサンタさんの一言に振り回される長男。先日は「サンタさんにお手紙を書く」と言ってきました。さらに、「サンタさんにプレゼントをする」とも。なんでも、「サンタさんはプレゼントを配ってばかりだから、僕がプレゼントをあげる」んだそうです。いやいや、いいことだと思いますよ。父親としては、自分の息子がそういう優しい考えを持ってくれた事を喜ばしく思います。ですが、それと、その手に握られた物に対する反応とはまた別の問題です。

その手に握られていた物は、机の引出しの奥に眠っていた金平糖でした。見事なまでに粉々です。個別包装でなければただの砂糖の粉末となっていた事でしょう。それを、サンタさんへのプレゼントにしたいそうです。いや、気持ちは分かるけど、夏頃から放置されていたものを上げるというのはちょっとどうかと。ほら、サンタさんはプレゼント配るのに忙しいから、粉々の金平糖だとお手手が汚れるよ。

散々説得した結果、「自分が持ってるポケモンカードを一枚あげる」という所に落ち着きました。落とし所としては妥当です。あっさりゴミ箱に行く事はないだろうし、私のコレクションの中に紛れ込ませれば子供達に見つかる事も無いでしょう。プレゼントが決まった長男は嬉々として、そしてそれを見た次男も真似をして、サンタさんへのお手紙を書き上げました。あとはイブの夜に靴下と一緒に置くだけです。置くだけですが、今でも「こっちのカードが良いかな、それともこっちのカードがいいかな」と悩んでいるようです。「たくさんカードをあげたら、たくさんプレゼントを貰えるかもしれない」と考えているのではなく、「たくさんカードをあげたら、サンタさんもゲームができて嬉しいだろうから」と考えているようです。打算的な考えではないようです。とは言え、今更賄賂を渡されたとしてもプレゼントは発注どころか納品まで完了しているんでどうしようもありません。今年は兄弟で一つのプレゼント。サンタさんを思いやる優しい長男は、押しの強い弟に譲りまくるかもしれませんが、できればこれからも兄弟仲良くやっていってほしいものです。

クリスマス当日の狂喜乱舞する姿が今から目に浮かぶようですが、頼むから朝くらいはゆっくり眠らせてください。と言ってはみるものの、プレゼントの内容から考えると叩き起こされるのは目に見えています。という事で、お願いサンタさん僕に安らかな睡眠というプレゼントを、という以前使ったような落ちで締めさせていただきます。とっぴんぱらりのぷう。


第八回雑文祭

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