夢の中で眼鏡をかけたおさげ髪の巨乳女子高生が電話をかけていたので、目覚まし代わりの携帯のアラーム相手に「もしもし」と応対してしまいました。二十八歳二児の父。今日も元気です。いいじゃないですか、夢の中くらい。首筋に温湿布して寝たせいで首を斬られる夢を見るよりはよっぽど平和じゃないですか。そんな事とは全く関係ないお話。

理系学生とは、レポートに始まりレポートに終わる物だと思います。学生時代を思い返せば化学実験や工学系の実験の結果レポート、さらには社会学関連のレポートと、毎週何らかの書き物をしておりました。卒業間近になると、実験レポートは無いものの卒業研究に明け暮れ、そしてその研究結果を論文としてまとめなければなりません。それまでのレポートはレポート用紙に換算して数枚から、せいぜい十枚前後のものだったのに対して、卒業論文は百枚近くの大作となります。もっとも、私はその半分ほどを、作成したプログラムのソースコードを貼り付ける事で埋めましたが。

実験レポートや社会学のレポート達は全て手書きでした。当時、自分用のPCは所有していたものの、レポート用紙にきっちり出力してくれるプリンタが手元にありませんでした。また、電気回路や組成式なんかを記述する必要があるため、通常のエディタでは機能が不足してしまいます。自分の思い通りの記述をするためには、お気に入りの水性ペンと、そして修正液は手放せませんでした。

私はペンの類の持ち方に妙な癖が付いているようで、長時間書き物をしていると右手薬指の第一関節が腫れてきます。学生時代は数多くのレポート書きと、そして定期試験対策の一夜漬けのせいで、この部分はペンだこのようなものができていました。痛みがあるわけでもないので放っておきましたが、定期試験前後に最も晴れ上がるため、季節の風物詩のようなものになっていました。たこが小さくなると試験前、たこが大きくなったら試験終了、といった塩梅です。日頃からこつこつ勉強しないからだ、というお叱りはごもっともです。はい。

卒業論文は、さすがに百枚前後を手書きというわけにはいきません。また、清書する必要もあります。学校の設備も使えるわけですし、当然の事ながら各種ワープロソフトを使用することになります。研究室ごとにフォーマットも異なります。Microsoft Wordを使用する研究室が多い中、私が所属した研究室が使用したのはLaTeXでした。あまり一般人には聞きなれないアプリケーションですが、逆に理系の人間には一度ならずともお世話になった人もいる事でしょう。で、私達はリファレンスとにらめっこしながらの執筆です。改行やら見出しの調節やらで悩みながら「Word組が羨ましい」と思い、向こうが数式の記述で四苦八苦しているときは「LaTeXでよかった」と思い、また別のソフトで図形作成に苦労するときは「手書きでいいじゃねえか」と思い。まあ紆余曲折はありつつも書き終えたわけですが、あの時身につけたLaTeXの記述方も今ではすっかり忘れてしまっています。

それから七年。長文なんて書く機会はありません。学生時代から使い続けている筆箱には、当時から居座り続けるシャーペン、消しゴム、修正液、ボールペン。今のペースだと、定年を迎えるまでに消しゴムを使い終えるか難しいくらいです。それくらい、文章を手書きする機会がありません。報告書も、趣味の文章も、全てキーボード経由。年賀状やご祝儀の宛名書きのような数少ない手書きのチャンスも「字が汚いから」という事で辞退して奥さん任せ。そりゃ、漢字の書き方も忘れるというものです。必要としている漢字の、輪郭程度なら浮かぶんですけどね。

先日、とある資格試験に行きました。で、その中に小論文形式の問題がありました。ざっと二千文字程度は書き込む必要があります。四百字詰め原稿用紙だと五枚ほど。A4のレポート用紙だと、どれくらいだろ。一枚か、せいぜい二枚程度でしょう。学生時代なら毎週のように書いていた量です。全く問題はない、はずでした。

駄目。ペンの持ち方が悪いせいで、右手が悲鳴を上げています。無理して書くだけは書きましたが、まあ汚い字だこと。採点ラインギリギリ程度の文字数しか書いていないので、合格とかそういうのは諦めましたが、しかし手が痛い。ある程度の長文を書くのは卒業以来初めてでしょうか。それにしても、もう二十一世紀なんだから長文の記述は全部キーボード経由でいいんじゃないでしょうか。特に、私が受験したのは「情報処理技術者」の試験なんだから腕の耐久性を競うよりはタイプの正確さ、速さを競ったほうがまだ生産的なんじゃないでしょうか。まあ、これで再度の受験を回避するいい言い訳ができました。
「いやあ、キーボードで入力できるんならまた受験するんですけどねえ」
来年から手書き廃止とかになったら、それはそれで泣きそうです。


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