相方との付き合いも、かれこれ3年になろうとしています。3年と書くと短いようにも感じますが、小学校の同級生であったという事を考えると、その当時の出来事に関する記憶も一部共有していたりするわけで、それ以上の長さがあるようにも感じられます。

と、一部の言葉に引っ掛かった方もいらっしゃる事でしょう。
「小学校の同級生」
同級生です。同じクラスでした。あまつさえ、近くの席でした。こういう話をすると、必ず同じ質問をされます。古くからの友人達、私の高専の同期、仕事場の人々、そして私の上司ですらも。たしか社長にも聞かれたな。皆さんの最初の質問は殆どの場合「昔から好きだったのか」というもの。それに対する我々の回答は「No」。つまらない回答ですが、これが現実です。つーか、お前ら何を夢見てやがるんだ。

「初恋の人と云々」という夢を見る人が世の中に多いんだ、という事を身をもって知らされているわけですが、昔に限って言えば双方共に「同級生の中の一人」という位置付けでしかありませんでした。どうやって口説いたかというと、成人式の後の同窓会。この辺は、「成人式で口説いた」とか言うと聞き手が勝手に脚色して想像してくれる事も多いので、そんな風に説明する事もたまにあります。こういう事でも「世の中にはロマンチストが多い」という事を実感します。実際には、同窓会で膝枕してもらって口説いた、という具合です。えらく省略しましたが概ね事実です。しかし、「膝枕で口説いた」と言うと笑いがとれるのは何故なのでしょうか。やっぱ膝枕大王なのか。そこ、「やっぱりね」とか言わない。

相方が同級生という事には多数の利点があります。実家に戻った際に「誰それと遊ぶ」という事になったとしても、その「誰それ」を説明する必要がありません。だって、相方にとっても同級生なんですから。無論、私と同じくらい親しいわけではないので「仲がよかったとは知らなかった」と言われる事もありますが、それでも「どんな人」かを説明する必要はほとんどありません。たまに「彼は真面目そう」などと間違ったイメージを植え付けられている場合は訂正しますが。「そんな風には見えない」と言われても、「俺の友人だ」という一言で説得できます。良いのか悪いのか全く分かりません。

会話のネタにもそう困る事はありません。世代が違ったり文化圏が違ったりすると細かな事で相違点が出てきてギクシャクするかもしれませんが、我々の場合、世代どころか遊んだ場所ですら大差がありません。双方の実家が多少離れているので、「近所の○○公園」なんて所はさすがに違いますが、離れているといってもたかだか1km。さほど大きな違いはありません。「あの頃はどんなテレビ番組を見ていた」だの、「あの頃はどんな遊びをしていた」だの。同じクラスだった事もあるので、学校行事ですらネタになりかねません。

さて、「多数の利点がある」と書きましたが、勿論欠点もあります。まず、過去を知られているという点。そもそも本人が忘れていた事まで覚えているというのはどうかと。しかも、そういう強烈なイメージを残しているような事は大抵『負』の出来事ですし。「歯の矯正治療のために、歯に針金をつけてた」というのはまだしも、「バス旅行の時にげろげろ吐いてた」という事まで覚えられてました。

そしてもう一つ。
「同窓会で同級生を口説けない」
経験者の言うセリフではありませんが、なにしろ小中学校の同級生の間では「我々がくっ付いた」という事はちょっとしたニュースになりました。そして、高専同期の面々の一部には、中学校の同級生より情報が流れていきました。結果としてあれです。「同窓会に出席する際に結婚指輪を外してあらドキドキ」という、それはどこの二時間推理サスペンスだというような行為ができないのです。「相方がいる事を隠してむにゃもごもご」という事をやろうにも、同窓会に出席するような知人全てに知られているため、そのような行動をとれません。いやはや、一度でいいからそういうことをしてみたいものd


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